お片付は春の嵐のごとく

私は、片づけた状態をたもったまま生活することができない。
なので少しずつ定期的にものを捨てたり片づけたりしながら暮らしてはいるのだけど、
ものも減ってきたし、片づけもなれてきたのか、
最近はまとまった片づけの時間が必要になることは減ってきた。

それでも私にとって片づけをしたくなる気持ちに火が付くのは、
ただただ部屋が散らかっている場合のみではないことを最近なんとなく自覚した。
多分それは、なにか作品を作りたいときだ。
私は日曜作家をしている。
日曜作家の日曜とは日曜大工の日曜。
それで食べているわけではなく、休みの日にしか作品を描かない作家の意である。

作家として描いた作品に満足してない時、
あるいは、この間のよりもっといいものを、などと意気込みだすと不思議とまず片づけをしたくなるのだ。

不思議といったかがこれについて解説する人もいて、
現状から一時的に逃げられるにも関わらず製作のためと
大義名分を使えるのでその状態が居心地がいいのであろうと言われた。

確かに。
でも片づけというのは、自分を分析する作業に似ているのだ。
私物の傾向、画材の種類、いるいらない、忘れていたけど持っていたもの。
そんなことをつぶさに見ていくことで、私の場合自分の中に題材をみつけるきっかけになることもよくあるのだ。

でも片づけなので見つける事でとどまることはできず、名残惜しいと思いつも、不要な物を捨てていく。
捨ててついでに画材も選別する。

作品づくりのための片づけは制作意欲の助走だ。
そしてかなり瞬発力を使ってしまう。
片づけでものの整理をことで自分の今必要なものだけをコラージュしていく作業になる。

片付けは最近はさっさとおわってしまうのが、少し物足りない。
たかが片付けだが生まれ変われるふり幅が減ったような気がしてしまう。
年齢を経て安定して、変えていく必要のあるところが少しすくなくなってしまったのだろうか。

思うに、捨てれないものもそれだけ増えていってしまったのだきっと。
自分を変えてしまってまで捨てなくていいものも増えたのだ。

ちょっと自分に甘いがお部屋が片付かない自分も許容してる今の自分でもいいかと思っている。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 \ SUZURIでグッズ販売始めました / 

  https://suzuri.jp/WakuWakuCreators